2006年4月1日土曜日

テヘラン



最後の王冠とともに、人々の自己表現も言論の自由も霧の彼方。



女性も男性と同じ権利があることを象徴するティアラ。絢爛豪華な王冠や衣装は、王様の権力を誇示するためではなく、ペルシャ培ってきた豊で美しい歴史を国民に悟らせるためのものでした。


17世紀、芸術を愛するペルシャの王様がベニスに美しいベネチアの鏡があることを聞き、20枚の大きな鏡を取り寄せた。ペルシャの宮殿もきらきらと輝く鏡 で覆い尽くしたいと思った。しかし、ローマからペルシャへの長旅は厳しく、鏡は都のイスファハーンに到着したとき、千々に砕けていた。ペルシャの王は、こ の小さな欠片を細工し、輝く宮殿にしてくれと匠たちに願った。古くからあるペルシャの化粧しっくいの技法で天井から壁まで覆い尽くし、イスファハーンには 輝かしい宮殿が星の数ほど増えた。



イラン、最後の王妃。彼女は、文化の女神。自らイランの多民族の衣装をつけ、復活に力を尽くした。虹色のイランに向かっている最中、イスラム一色のイラン にでんぐり返った。それゆけ、イランで禁じられた衣装、舞踊や自己表現は、ニューヨークのマンハッタンで毎年、春のお祭りで失われたイランの華やかさをパ レードで発揮する。


飛行機で到着寸前、テヘランの鳥瞰図


2500年前の世界で最初の帝国、アケメネス朝ペルシャを記念して、 1971年に立てられた「王たちの記憶」の塔は、1979年のイスラム革命で「自由」の塔と改名された。子供時代に残っている記憶では、賑やかな広場に聳 える真っ白い巨大な塔だったが、21年ぶりの郷帰りで再び訪れたとき
小さな静かな塔に見えた。


100年前まで盗賊のハイウエーと呼ばれたテヘランも
今はコンクリートの砂漠。


一年中、雪を頂くアルブルズ山脈のいちばん高い山は
ダマバンド山と名づけられ、標高5671メーター。
白いシャーベットが流れ落ちる。雪融け水は甘く
王の水と呼ばれてきた。


テヘランは、標高2000メートルの高原に位置し、日本から
西に向かって、真っ直ぐ歩いたら、いつかは辿り着く。
東京からテヘランまで7700km
ちなみに航空券は、12万ぐらい。


嘗て「皇太子」と名づけられた街道は「来る人」という名前に代わったが、
プラタナスの木は、なにごとにも翻弄されることなく
美しく立ち並んでいる。


近代の五重塔


結婚式場


テヘランの新しい地下鉄の駅


千人分のウエディングケーキ


アラベスクの書で装飾された地下鉄の駅


テヘランにも天の橋立ぐらいあります。こちらは湖だけど。
その左手には、禁じられているサテライト・テレビのアンテナが見えています。


いいえ、パリではなく、テヘラン。


風景は砂漠のソナタから冬のソナタへ移り変わってゆく。
紅葉と雪山を同時に鑑賞することができる。
プールで泳いで、一時間車で山へ走ればスキーができる。
一日のうちに四季が味わえる。


21年振りに里帰りをすると、粉砂糖のような雪で迎えられた。


テヘランのアルブルズ山脈は、長く連なり、北西部は、アルメニア共和国とカスピ海南岸に接する。
東部からは、トルクメニスタンとアフガニスタンの国境が見える。


テヘランの「シェムシャク」高級スキーリゾート


スノーボーする美男子


ローラーブレードをする氷の上の妖精。


山脈の麓にならぶ伝統的な野外レストランで、宝石箱をひっくり返したようなキラメキのなかで、夜のピクニック。



ショッピング・モールで優雅なティータイム。紅茶の香りは、
サフラン?ミント?カルダモン?


この辺りで、テヘランに馴染んだかな。この山脈がアルプスではなくて、アルブルズ山脈であることも、とちらずに言えるかな。


テヘランのオイル・ダラーで建てられた豪邸。覗いてみましょう


イランの庭園は、2500年前のペルシャ大帝国のころから地上の楽園としてイメージされ、「パラダイス」 という語源は、古代ペルシャ語から,、ギリシャ語、アラビア語、英語、フランス語、ドイツ語、
おまけに日本語にまでに広がっていった。



高級マンションへ、ご案内。


 鏡の廊下を潜って


富者も貧者も、イラン人の台所からは、いつも米の香水の香りが漂ってくる


たくさんの高層マンションが建っているテヘランから、
山脈を越えてカスピ海へ


豪勢なお風呂でも、男女が一緒に入るのは、イランではとんでもない。
男同士でも、ワイン色でチェック柄の織物を腰に巻いて入るのが礼儀。


カスピ海の別荘地


窓からカスピ海が見えるカフェ。でも、実はここは海ではなく、世界一大きな湖。ここは湖だととみんなが知って暮らしてきたところに、遠くからローマ人が やってきて、喉が渇き、水を賞味するとしょっぱかったので、海だと思い込んだ。 よそ者が海と呼ぶのでペルシャ語でも、この湖が海と呼ばれるようになっ た。海のことをペルシャ語で「ダリア」という。 
そう、私よ。


 飛行機で到着寸前、テヘランの鳥瞰図


2500年前の世界で最初の帝国、アケメネス朝ペルシャを記念して、 1971年に立てられた「王たちの記憶」の塔は、1979年のイスラム革命で「自由」の塔と改名された。子供時代に残っている記憶では、賑やかな広場に聳 える真っ白い巨大な塔だったが、21年ぶりの郷帰りで再び訪れたとき
小さな静かな塔に見えた。


100年前まで盗賊のハイウエーと呼ばれたテヘランも
今はコンクリートの砂漠。


一年中、雪を頂くアルブルズ山脈のいちばん高い山は
ダマバンド山と名づけられ、標高5671メーター。
白いシャーベットが流れ落ちる。雪融け水は甘く
王の水と呼ばれてきた。


テヘランは、標高2000メートルの高原に位置し、日本から
西に向かって、真っ直ぐ歩いたら、いつかは辿り着く。
東京からテヘランまで7700km
ちなみに航空券は、12万ぐらい。

嘗て「皇太子」と名づけられた街道は「来る人」という名前に代わったが、
プラタナスの木は、なにごとにも翻弄されることなく
美しく立ち並んでいる。


近代の五重塔



 千人分のウエディングケーキ


 千人分のウエディングケーキ



テヘランの新しい地下鉄の駅



アラベスクの書で装飾された地下鉄の駅


テヘランにも天の橋立ぐらいあります。こちらは湖だけど。
その左手には、禁じられているサテライト・テレビのアンテナが見えています。


 いいえ、パリではなく、テヘラン。


街からアルブルズ山脈の麓へ、30分ドライブすると
エメラルドグリンの自然が広がる。



風景は砂漠のソナタから冬のソナタへ移り変わってゆく。
紅葉と雪山を同時に鑑賞することができる。
プールで泳いで、一時間車で山へ走ればスキーができる。
一日のうちに四季が味わえる。


21年振りに里帰りをすると、粉砂糖のような雪で迎えられた。


テヘランのアルブルズ山脈は、長く連なり、北西部は、アルメニア共和国とカスピ海南岸に接する。
東部からは、トルクメニスタンとアフガニスタンの国境が見える。


テヘランのアルブルズ山脈は、長く連なり、北西部は、アルメニア共和国とカスピ海南岸に接する。
東部からは、トルクメニスタンとアフガニスタンの国境が見える。


スノーボーする美男子


山脈の麓にならぶ伝統的な野外レストランで、宝石箱をひっくり返したようなキラメキのなかで、夜のピクニック。


山脈の麓にならぶ伝統的な野外レストランで、宝石箱をひっくり返したようなキラメキのなかで、夜のピクニック。


ショッピング・モールで優雅なティータイム。紅茶の香りは、
サフラン?ミント?カルダモン?


この辺りで、テヘランに馴染んだかな。この山脈がアルプスではなくて、アルブルズ山脈であることも、とちらずに言えるかな。


テヘランのオイル・ダラーで建てられた豪邸。覗いてみましょう


イランの庭園は、2500年前のペルシャ大帝国のころから地上の楽園としてイメージされ、「パラダイス」 という語源は、
古代ペルシャ語から,、ギリシャ語、アラビア語、英語、フランス語、ドイツ語、
おまけに日本語にまでに広がっていった。


高級マンションへ、ご案内。


鏡の廊下を潜って


富者も貧者も、イラン人の台所からは、いつもジャスミン米の香りが漂ってくる


豪勢なお風呂でも、男女が一緒に入るのは、イランではとんでもない。
男同士でも、ワイン色でチェック柄の織物を腰に巻いて入るのが礼儀。


たくさんの高層マンションが建っているテヘランから、
山脈を越えてカスピ海へ

 
カスピ海の別荘地


窓からカスピ海が見えるカフェ。でも、実はここは海ではなく、世界一大きな湖。ここは湖だととみんなが知って暮らしてきたところに、遠くからローマ人が やってきて、喉が渇き、水を賞味するとしょっぱかったので、海だと思い込んだ。 よそ者が海と呼ぶのでペルシャ語でも、この湖が海と呼ばれるようになっ た。海のことをペルシャ語で「ダリア」という。 
そう、私よ。